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中国に来るまで

中国暮らし ものおもう

 大学も28で卒業すると、そつなく仕事が見つかった。今思えば奇跡に近かったと思う。中小のメーカーで、小型の電子部品を作る会社だった。営業として入り、2年ほど外回りをした。いわゆるオーナー企業で、色々と理不尽な事も多く、同期に愚痴ってはは飲んでいた。しかし、その飲みは楽しかった。

 

 この会社に入る事を決めたのは、中国に行けるということだけだった。大学も卒業間際になり、中国の躍進を見聞きすることが急激に増え、急速に興味をかき立てられていた。それまで、見向きもしなかったのにだ。だから、入社3年目になって、中国工場勤務の話を貰ったときは飛びついた。ただ辛かっただけの外回り営業は、終わったのだ。

 

 さて、中国に着いて待っていたのは、村八分だった。そのころ、急拡大した工場には、年配の日本人管理者が大勢来ていた。こちらは、社会人2年目のペーペーである。彼らから見たら青二才の若造だ。ことあるごとに絞られた。立ちんぼだってやった(上司の机の前で、何時間も愚痴られどやされ続けること)。何かとハブにされ、少々凹み気味の時期が続いた。しかし、思い返せば、この時期に絞られて本当に善かった。これなしでは、まともな社会人にはなれなかったと思う。

 

 この会社は約10年努めて去った。その理由を聞かれると、こう答えるようにしている。「自分の仕事が終わったので。」中国に赴任するときに決めていたのは、仕事を終えたら退職することだった。

 そこには、この会社特有の風土があった。中国赴任組は、本社帰任後に仕事がないのだ。1年以上在籍している方は皆無だった記憶している。「この会社は、買ったナイフを研がない」と同僚が言っていたことを思い出す。言い得て妙の表現だと思う。だからこそ、仕事を覚えようと思った。

 

 どうしたら独り立ち出来るだろうか?中国へ来てからは、いつも考えていたような気がする。独立は夢ではなく、生きる為に必要な事なのだ。