ドラッカーの言葉
手に取ったのは現代の経営でした。立ち寄った近所の図書館の書棚でです。この本は、ドラッカー書籍の中でも基本中の基本と言われる代表作で、以前より読みたいなと思っていましたが、ズルズルとが毎度毎度のことでした。しかし、今回は表紙を開く事ができました。
この本の前書きでドラッカーは、“本書は企業を三つの次元で捉えた。”と始めます。
“第一に自らの外部、すなわち顧客のため成果を生み出す経済的な機関としてとらえた。第二に、人を雇用し、育成し、報酬を与え、彼らを生産的な存在とするための機関、したがって統治能力と価値体系を持ち、権限と責任の関係を規定する社会的機関としてとらえた。第三に、社会とコミュニケーションに根ざすがゆえに交易を考えるべき公的機関としてとらえた。”
<P・F・ドラッカー 現代の経営 まえがき より>
現代の経営は、マネジメントをする人の為に書かれた本かと思います。しかし、今の様な変化の激しい世の中では誰もが、心に刻んでおかなければ行けない言葉だと思いました。
成す人
成す人=研究する人。これが最近の憶う方程式です。
反省して、反省しきれないものがあります。どんな時にそうなりますでしょうか。本を読みますね。画集を見ます。ああ、これはいいと感銘を受けるのです。そして、その作者は著者は、研究を研鑽を重ねている事に気付くのです。
ああ、自分はボロ雑巾ようにヨジレてもモジレても、一滴として何もでない。芸術である必要はないけれど、一滴を絞り出す努力は、日頃から研鑽する積み重ねだと思うのです。基礎からはじめ、膨大な無駄を吸収し、いつぞや結晶が絞り出される。超高度な繊細な技巧的なフィルターでありたいと思いますが、日々飲み寝てしまうのです。
Leonarad Weber という画家がいます。私は一冊の画集も持っていて、3年に一回ぐらぱらぱらとめくります。そして圧倒されます。ちょっとしたパノラマの風景がなのですが、それを見た時はどうにもならない衝撃を受けるのです。
そのように感銘を貰いながらも画集の冒頭を読むと、“1973年初めて墨絵と会いました”と始まり、“それは私に取って踊るべき芸術で、傑作でした”と 続きます。そして“、、、絵を描こうと思いました。遠近法、構図を考えながら、そして実際の風景を前に野外へ出て描くという試行錯誤を数年間繰り返し、私はやっと納得のいく一つの空間を創作することができるように、、、.”(Leonard Weber, Ballyery A.P.J.)
そこには単純に数年という重みがありました。
Leonard Weberは、私にとって成す人でした。それはとても嬉しく満足なのですが、問題はそんな御方がゴロゴロおり、感銘ばかりが鐘のように頭を打ち付けて、どうにもならない状況があるわけです。
そのうちに御方々を紹介する機会があればと思います。
とりあえずは今日です。数ページ画集をぱらぱらとめくり、本棚にしまい、寝る事にします。
おやすみなさい。
追記
“成す人”を目指そうということです。
中国に来るまで
大学も28で卒業すると、そつなく仕事が見つかった。今思えば奇跡に近かったと思う。中小のメーカーで、小型の電子部品を作る会社だった。営業として入り、2年ほど外回りをした。いわゆるオーナー企業で、色々と理不尽な事も多く、同期に愚痴ってはは飲んでいた。しかし、その飲みは楽しかった。
この会社に入る事を決めたのは、中国に行けるということだけだった。大学も卒業間際になり、中国の躍進を見聞きすることが急激に増え、急速に興味をかき立てられていた。それまで、見向きもしなかったのにだ。だから、入社3年目になって、中国工場勤務の話を貰ったときは飛びついた。ただ辛かっただけの外回り営業は、終わったのだ。
さて、中国に着いて待っていたのは、村八分だった。そのころ、急拡大した工場には、年配の日本人管理者が大勢来ていた。こちらは、社会人2年目のペーペーである。彼らから見たら青二才の若造だ。ことあるごとに絞られた。立ちんぼだってやった(上司の机の前で、何時間も愚痴られどやされ続けること)。何かとハブにされ、少々凹み気味の時期が続いた。しかし、思い返せば、この時期に絞られて本当に善かった。これなしでは、まともな社会人にはなれなかったと思う。
この会社は約10年努めて去った。その理由を聞かれると、こう答えるようにしている。「自分の仕事が終わったので。」中国に赴任するときに決めていたのは、仕事を終えたら退職することだった。
そこには、この会社特有の風土があった。中国赴任組は、本社帰任後に仕事がないのだ。1年以上在籍している方は皆無だった記憶している。「この会社は、買ったナイフを研がない」と同僚が言っていたことを思い出す。言い得て妙の表現だと思う。だからこそ、仕事を覚えようと思った。
どうしたら独り立ち出来るだろうか?中国へ来てからは、いつも考えていたような気がする。独立は夢ではなく、生きる為に必要な事なのだ。