機会
生きていると色々な節目がある。その節目節目には、ヒトモノコトとの出会いや別れの機会が与えられる。自分に巡って来るものは、必ず必要とすることだと、38年生きていると必然と考えるようになる。
逢えないときは擦れ違う。気持ちや身体、環境などが、その機会を拒んでいる。反対もまた是なり。自分で選んでいるとも言えるし、偶然や必然の重なりが選んでくれるとも言える。
節目節目を選択しながら生きている。
けれど思うのは、人生としての苦楽のバランスは変わらないということだ。
苦手な人がいたとすれば、克服することが求められるし、克服することができなければ、またいつかそんな人が現れる。気付かなければ機会とは言えないが、気付けば大きな発展のチャンス。
けれど良いことの後には、必ず悪いことが、悪いことの後には必ず良いことが起る。「人生万事塞翁が馬」と諺にもあるけれど、まあ実際その通りだ。
克服でさえも長い人生を少しだけ生きやすくしてくれるに過ぎない。ほんのちょっとにしかならない。苦労して克服しすべからく生きるか、その場を楽にやり過ごして全体として少し苦労をするか、と言うことになる。苦楽のバランスは変わらないのだ。
困難を一つ乗り越えること、
これは自分の選択。
乗り越えないこと、
これも自分の選択。
大して変わらない、もしかするとまったく変わらない自分に腹を立てながら、それでもコツコツと進む。
自覚を持って進む。
何れを選択したにせよ自分で選択した道ならば諦めもつくだろう。自覚がなければ、そこには何か業のようなものが残る。残してはいけない何かが残ってしまう。
与えられる機会、選択する機会。
感じる苦楽に意味はない。発展も進歩もない、はたまた停滞も堕落もない。その自覚のなかでも進んでいく。このあきらめにも似た境地で生きることの一つ一つを「徳を積む」と言うことなのかもしれない。
さて生きよう。