切り替える、だから立ち止まる
先日のコラブロで切り替えると書いた。
今ちょうど日本に帰っていて、駅まで家までお店まで、会場までと歩く機会が多い。案内図を見て伺うと、思っていたよりも近く早く着きすぎたなんてことも多い。ひどく丁寧な地図と狭い土地柄がそうさせるのだと思うけれど、この距離は非常に心地良く便利だ。
目の前に見えるけれど、遥かに先の方にある中国とは違う。
そういった訳で、細々と歩く機会が多い。その都度、いろいろと思索に耽ったり、妄想を膨らませたりする。それが、とても楽しい時間になる。
歩いていると、それはまた立ち止まる機会も多い。日本ならでは、信号の多さに横断歩道を眺める機会にぼけっとする。信号が青に変わるのを待ち、、、。
人生って長い。
色々な話を聞き読みしていると、あのときは立ち止まってしまった。とか、なぜ止まっているのかとか。止まることには否定的な言葉が多いように感じる。
いずれでもよい。
おそらく、本当に停止していることはない。その場で足踏みをしている、ジタンダを踏んでいる、色々あろうが動いていることに変わりはない。
大いに止まろう。
それが自分にとって必要なのだから。
それを認めよう。
もしかすると大きな飛躍の助走なのだから。
みつめよう。
一人一人のあゆみはちがう。