第3部:ヒーローになるために?

ヒーローについてはこれが3回目で最後の投稿。

*3部続き書いた後味: ちょっとした自分へのトライアルでした。「自分学」「人生箇条書き」やってみるのは結構痛い(笑い。それでも、楽しかったし、それなりの結論も出せた気がするので良かったと思います。



前回は「自分学」で終了。

自分を知るためには、どんな機会が有っただろうか。その都度、どんな方法をとってきただろう。機会は、誰にでも訪れているし、自分もその度に何かをしていると思う。


例えば、入学、転校、卒業、就職、転職、部署移動、引っ越し、などの環境の変化が一つある、それから成功した時や失敗した時に学ぶことも多い。友達が出来た、恋人が出来た、分れたと言ったことも学びの機会だ。


 ことある度に自分を勉強することになる。


 こう言った学びは、自動的記憶や体に染みついてしまう。あえて、一生懸命にならなくてもいいのは、嬉しいことでは有るけれど、反面嫌な癖なんかも出来てしまうのではないだろうか。ただ、うっちゃっておくのではなくて、その際には何か一味付け加えて次に進みたいじゃないか。既に時間が経ってしまったとしても、ひとつひとつの出来事を振り返ってみてればヒントは残っていると思う。


 高校卒業の時は、進学も就職も考えないほどかなりちゃらんぽらんだった。
 三浪後に新潟へ行った際は、もうほとんど崖っぷちで人生最後の覚悟だった。
 米国へは、新しい門出と言う面持ちで臨めた。
 大学では、言葉の壁にぶつかり演劇を断念、専攻を変更。
 卒業でアメリカ社会には残るほどのパワーもなく帰国。
 会社になじめず、営業成績がダメ、首になりかけた時に中国出向の話に飛びつく。
 中国への業務移管ほぼ終了時に営業立上の機会を貰い部署移転。
 会社事情と営業成績の狭間で退職を決意。
 

 とまあ、箇条書きするだけでも、その時の気持ちが浮き上がってきてしまう。残念ながら、100%満足できる決断や行動をしてきたとは思えない。けれど、何が不足して、何をしたらよいのかを少しは見ることが出来る。こんな人生箇条書きをしてみたら面白いのではと思う。あくまで客観的に。


 私の場合、その結果色々と試行錯誤をしながら、造伍という仲間に出会った。学びを加速してくれる友人達である。


 このブログもお陰様で続いている。あきれるほどに夢見がちで、飽きっぽい自分が、何かを現実に引っ張り出そうとしている。人に必要とされる価値を生み出したいと思う。しかし、地道である。そして、地道に出来る環境がある。何かを作りきるまで土壌を育てて行きたい。

 
 暗中模索であり、マイムマイムでもある。


 ヒーローにはなれないが、せめて自分にはなれそうである。