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寄る年波に付き合いつつも

ものおもう

生きてれば、それなりの失敗も多いこと(笑。


時には「シマッタ」が頭の中をぐるぐると廻る。自分の中で自身が小さくなってしまったり、ひしゃげてしまったりと、そんな経験を持っていない人はいないのではないか。


その失敗のすべてが未来永劫なくなるわけではないだろうが、反省し改善し、もう次回はせまいと誓いを立てる。たとえ、それを忘れてしまっても、失敗は繰り返したくないと思うものだ。



はたして年を取ると、開き直りが多くなる(汗



ちょっとした失敗の際は、私はこういう人間だと言い切る、思い直る。「しょうがないじゃないか」が、常套句になる。それが年を取って頑固になることと同義語だと気づき、また愕然とする。

確かに30代後半と言うのは、一つの区切りなのだろう。個人差はあるだろうが、生物的な頭脳的な境が見える様だ。

確かに少し前までは、反省の後は改善しかなく、自分を変えて行こう=良くして行こうする気持ちが根っこにあった。そこには、自分は無限大だとする勘違いが流れている。つまり、いつまでも改善で進める余白があり、どこまでも広がっていると思える自分がいるのだ。


若さゆえの勘違い。


そこで、「自分はこうだ」と言葉が走る。そこには、自分の余白は、もう尽きたとのあきらめが見え隠れする。体力的にも下降が始まり、頭も固まり始める。そんな年の境を感じ、口からポロっとでてしまう。さびしい限りではあるけれど、寄る年波とはよく言ったものと思う。


〜30代前半の方々へ〜
「この時期は必ず来るので覚悟しておくように(笑。」





それはともかく、これは恐らく「自分を知る」時期に入ったのかもしれないと気づく。荒唐無稽な無限大ではなく、自分の形を持った柵が見えたのかもしれない。色々な周囲の人にも枠があり、器があり、それらと比較しての自分に気付いたのかもしれない。

それならば、もしかすると今まで以上に進む方向がつけ易いようになれているだろう。人には器があり、若い時に自分を知る人もいるだろう。ただ、私にとってはこれからなだけ。それが小さかろう大きかろう、それはそれで仕方がないとしよう。


であれば、これからは年を取った上での勘違いを続けて行こう。
そして行きたい。