iPhoneが奪った時間

新しい事業は、世の中不足を補えるものなんだろうと。いま足りないもの、そんなことを空き時間、移動中、寝しなに考えていた。

すると、なぜにiPhonは、あれほど売れたのかと言ったことが気になった。確かに便利だし、カッコイイ。でもそれだけじゃ、あれほど革命的には広がらなかったに違いない。


じゃあなぜ、、、。


改めて問うてみる。


「不足を補う。」


何が不足だったのだろう。


一つは、便利さだったろう。あれ程、細かく個人個人のニーズに合わせることが出来るモノはなかった。iPhone自体にはないが、アプリの開発者達が我先にと多種多様なソフトを市場に送り出している。事実、アプリ販売スタートから数年が過ぎようとしているのに、新しいアプリが絶えず発表されている。

二つ目は、消費者のお金の行く先だろう。デフレは続いてはいるものの、その反対にお金の使い道に困っていたのではないだろうか。以前は数十万もしたものが、今は数万円もしくは数千円で手に入る。皆のてものには粗方欲しいものがある。お金もモノもなく、三種の神器とよばれた商品があった時代はもうない。デフレスパイラルが続く日本でも金余りであることは確かだ。そのと覆う。お金の行き先ができたわけだ。

最後に付け加えるなら、時間だろう。待ち時間、調べる時間、移動時間。日々忙しさはましている。しかし、それでもあまり時間がまとわりついているのが、自分も含めていまのひと。そこに、手元で出来てしまうものが現れた。


もう、ぼーっとする時間さえなくなった。


出来なくなった。